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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2016年05月12日

しかしそれらが


ところで「神聖な――」という点について、こういう言い方自体が時代錯誤的な意味のないものなのだと皆が考えていると、私は思っている。Y先生もトピックの取り上げ方からして同様に、まず上記の文言をかなり批判的に捉えているのだろう。
 作り出されたイメージに過ぎなくとも、男性で言えば高校球児は甲子園を死に物狂いで目指すし、サッカー青年は国立競技場でのゴールを、ラガーマンは花園でのトライを夢見る。女性であるならば恋愛を忘れ、本来の柔らかい肉体を改造し、陸上や格闘技など一部の激しい競技では月の生理を失うほどのある種代償を支払い、それでも華やかな舞台に上がることを切望するというのが現実だ改善膚質
 彼、彼女らはひょっとしたら幼い頃から――当時はどの程度意識的に取り組んでいたかは分からないが――、青年・成人期に至れば貴重な時間を注ぎ込む鍛錬を自ら求めるのだ。
 これがイメージ操作的なもので、特に男子の場合傾向が強いとはいえ、まずは性別問わず意図的に集団生活の中で個を消すことや倫理観を強制的に叩き込まれる、一種の軍隊式なスポーツ教育だという指摘も分からなくはない。本来個性を伸ばし、各自の持ち得る様々な特長を結集させる過程からよりよい成果を得ることを目的としている(個人競技でも仲間同士での切磋琢磨、競い合いが大切)はずのところ、未だに旧態然、硬直化した一方通行のシステムは厳に残っている。
 個人の罪を全体の懲罰であるとする考えも集団の中では良く見られ、社会でも延長線上の発想で人間を支配するやり方はそれなりに浸透(支持)している。が、ただし現代に至っては学校生活や、特に従前までは信頼し採用していた企業の人事管理・教育の側へ(からも)弊害が指摘されるケースも少なくないreenex膠原自生
 最も批判の矛先を向けやすい部分として、これらが確かに色々と問題は含んでいることは事実としてまず捉えなければならない時期にあるのかもしれない。ただ現在においてはスポーツに携わる人達、プレイヤーだけでなくコーチも含めた育成・能力開発や教育のあり方が見直されているといわれていようと、過渡的なシステムの一部として最善とはもちろん単純に首肯は出来なくとも、教育(連帯的責任の良好なあり方・仲間意識の確立・子供に対するしつけ・情操)という点からすると全てを否定しきるのはやはり早計と言えないだろうか。  


Posted by 健康の微笑 at 15:29Comments(0)

2016年05月12日

いささか実も蓋もない

言い方になるかもしれないが、結局問題の女性も、自分が「女王」でないことは知っていたのではないかと思えてならない。競技Xの世界に身を置き、相応の才能と長年の努力で国内では常に上位の成績は出せるようになっていたのかもしれないが、しかしスポーツ界の「女王」とは一般的に言って女性のチャンピオンである。しかも才能のある新人が競技を始めて即その世界の頂点に上り詰めたとしても、または辛勝やギリギリの判定の末に勝利を掴み取ったとして仮に一度きりの短い期間の頂点であった場合、通常どちらも「女王」とは言われないのではないか。
「女王」とは一定期間頂点にいるか、あるいは一度落ちた後も、かなり近い位置を長年キープし続けた相手に対してのみ使われる尊称のはず。
 私が件のヌードになった女性の名前を知らなかったということは、酷な言い方だがやはり一般的に知られているレベルの選手ではないのだ。
 競技Xがどれだけ華美・壮麗であろうと、あくまでも得点を競う競技である。ヌードの女性の外見がどれほど美しかったとしても――加えておそらく国内10位くらいの成績か、オリンピック強化選手くらいの実力はあったのかもしれないが――、それで「女王」などと呼ぶ(写真週刊誌にそういった倫理観を求めるのは不可能だから、本来当人が「呼ばれる」ことを是認する感覚が問題なのだ)ことは、純粋に実力がありながらヌードの女性よりも性的ピンナップの視線では容姿の劣る、と判断された競技者に対する侮辱でもあるといえないか。当然、彼女を純然たる競技者として見た上で、その姿に価値や意味を認め応援していたファンに対しても、背信を犯した行動である。加えて敗残者の感覚、つまり嘘や騙りの類に堕してしまう惨めさを本人も考えなかったはずはないだろう。  


Posted by 健康の微笑 at 15:26Comments(0)